聖典の民に対してはムスリムからの挨拶は控えること、
また、彼等に挨拶された場合の応答について
3巻 P.235-237
アナス・ビン・マーリクは伝えている
アッラーのみ使いは「聖典の民(注1)があなた方に挨拶した時は“ワ・アライクム(そして、あなた方の上にも)”と言うがよい」と申された(注2)。
(注1)聖典の民とはイスラーム教徒、キリスト教徒、ユダヤ教徒を指すが、ここでは後の二者を意味している
(注2)ムスリム同士であれは“ワ・アライクムッサラーム”と応ずるが、この場合は“ワ・アライクム”とだけ言う
アナスは伝えている
教友達が預言者に「聖典の民達がわれわれに挨拶をしますが、彼等にはどのように応答するのでしょうか」と尋ねた。
その御方は「“ワ・アライクム”と言うがよい」と申された。
イブン・ウマルは伝えている
アッラーのみ使いは「ユダヤ教徒達があなた方に挨拶し、彼等の中の誰かが“アッサーム・アライクム(注)”(あなた方の上に死がありますように)と言うような場合は、“アライカ”(あなたの上にも)と言うがよい」と申された。
(注)これはムスリムに対する邪な心を持つ者の呪の言葉である
前述のハディースはイブン・ウマルを根拠とし、言葉に僅少の相違をもって他の伝承者経路でも伝えられている。
アーイシャは伝えている
一団のユダヤ人達がアッラーのみ使いに会う許可を求めに来て「アッサーム・アライクム(あなた方の上に死がありますように)」と言いました。
それで私は「あなた方の上にこそ死と呪いがありますように」と言ってあげましたわ。
するとアッラーのみ使いが「アーイシャよ、まこと、アッラーは全ての事柄に優しさを好まれる」と申されました。
私は「でも、あなたは彼等が言った言葉をお聞きになりませんでしたか」と言いますとみ使いは「私が既に“ワ・アライクム(注)”と言ったのを(お前は聞かなかったのか)」と申されました。
(注)これの原義は“あなた方の上にも”であるが、ここで意図されるのは“われわれもあなた方も皆死す定めにあり、それにおいては平等である”の意とされている
前述のハディースは別伝承者経路でも伝えられているが、その中でアッラーのみ使いは「私は既に“アライクム”と言った」と述べられているが“ワ・アライクム”の“ワ”は述べられてはいない。
アーイシャは伝えている
預言者の所に幾人かのユダヤ人が参リまして「アブー・カーセムよ、アッサーム・アライカ」と言いました。
その御方は「ワ・アライクム」と申されました。
私は「あなた方の上にこそ死とお咎めがありますように」と言ってあげましたわ。
するとアッラーのみ使いが「アーイシャよ、忌まわしい言葉を使ってはならぬ」と申されました。
私は「あなたは彼等が言ったことをお聞きになりませんでしたか」と申しますと「彼等があのように言った時、私は“ワ・アライクム”(そして、あなた方の上にも)と応答したのを(知らなかったのか)」と申されました。
前述同様のハディースは他にも伝えられている。
(それには)アーイシャは彼等の意図を理解し、彼等をののしった。
するとアッラーのみ使いは「これ、アーイシャ、まこと、アッラーは忌まわしき言葉や不潔な言葉は好まれない」と申された(と述べられている)
なお伝承者は「至高偉大なるアッラーは「また彼等があなたの許に来た時、アッラーがあなたに対して決して挨拶されなかった言葉(死を意味する呪いの言葉など)で」(クルアーン第58章8節)からその章の最後まで啓示されたと」いう言葉を付加している。
ジャービル・ビン・アブドッラーは伝えている
ユダヤの人達がアッラーのみ使いに挨拶し「アッサーム・アライカ、アブー・カーセムよ」と言った。
するとその御方は「ワ・アライクム」と申された。
するとアーイシャが怒ってみ使いに「あなたは彼等が言ったことをお聞きにならなかったのですか」と言った。
その御方は「確かに私は聞いた。
それで彼等に応えたのだ。
まこと、われわれの彼等への呪いの祈願は聞きとどけられるが、彼等のわれわれへのそれは、聞きとどけられぬ」と申された。
アブー・フライラは伝えている
アッラーのみ使いは「ユダヤ教徒やキリスト教徒にはあなた方の方から挨拶は行わぬこと、もしあなた方が道で彼等の一人に出合った時は(その者の安全を慮り)道路の端に寄らせるようにせよ」と申された。
前述のハディースは言葉に僅少の相違をもち他の別の伝承者経路で伝えられている。
一つには「あなた方がユダヤ人達に会った時」とあり、また別のものには“聖典の民に(会った時は)”と述べられ、別のでは「あなた方が彼等に会った時は」と述べられている。
だが“多神教徒”とは誰一人として述べてはいない。