遺言すべきものを持たない者はそれを放棄すべきである
2巻 P.674-676
タルハ・ビン・ムサッリフは次のように伝えた
私はアブドッラー・ビン・アブー・アウフに次のように尋ねた。
アッラーの使徒は(自分の資産に関して)遺言を残しましたか?
すると彼(アブドッラー)は「いいえ」と答えた。
そこで私は「それならなぜムスリムに遺言が義務づけられたのですか?
もしくは、それならなぜ遺言を命じられたのですか?」と尋ねた。
すると彼は「自ら崇高にして尊厳におわすアッラーの聖典に基づいて遺言をしたのです」といった。
マーリク・ビン・ミグワルは前記と同様のハディースを同様の伝承者経路を経て伝えている。
ただしワキーウのハディースでは「それならどのようにして人々は遺言を命じられたのですか?」とあり、またヌマイルのハディースでは「どのようにしてムスリムに遺言が義務づけられたのか?」とある。
アーイシャは次のように伝えている
アッラーの使徒は1ディーナールも、また1ディルハムも、また一頭の羊も、また一頭のラクダものこさなかったし遺言もしませんでした。
アアマシュは前記と同様のハディースを同様の伝承者経路を経て伝えている。
アスワド・ビン・ヤズィードは伝えている
アーイシャのところで皆が「アリ-は預言者の遺言を受けた(注)」といったとき彼女はこういった。
いつ預言者が披に遺言しましたか?
私は(預言者が亡くなるとき)胸または膝で彼の支えになっていました。
そして彼が洗面器を求めたとき、彼は私の膝に崩れ落ちましたがそのとき私は(まさか)彼が亡くなったとは感じませんでした。
ですからいつ彼(アリー)に預言者が遺言をしたのですか?
(注)遺言を受けたとすればこの時アリーは初代のカリフに任ぜられたということになるはずで、この主張はシーア派によって支持されている
サイード・ビン・ジュバイルは伝えている
イブン・アッバースは「木曜日」といって更に「何たるあの木曜日(さえなかったらなあ)」といって泣き始め、彼の涙は砂利をも濡さんばかりだった。
そこで私が「イブン・アッバースよ、木曜日がどうしたというのかね?」と尋ねたところ彼はこういった。
(その日)アッラーの使徒が重態になったのです(注1)。
そして彼は「こちらに来なさい、私が居なくなった後もあなた方が迷わないように一筆書いてあげよう」といった。
ところがそれでそこに居合わせた教友達が我勝ちにいい争いになった。
預言者の前では争うべきではないのに彼等はこういった。
預言者の様態はどうなんだい?
彼の意識は無くなったのかい?
(あの問題について)彼に尋ねてみたら?
そこで預言者は「私には構わないで下さい。
私はこの方(アッラーに見とられてアッラーにまみえんとする今の状態)が良いのです。
私は次の三つのことをあなた方に遺言致しましょう。
(一つは)アラビア半島から多神教徒を排除すること。
(二つ目は)かつて私が外からの使節団を歓待したことに習って彼等を歓待すること。
そして三つ目についてだが、彼は沈黙した(注2)。
あるいは(伝承者は)(注3)「それを忘れてしまった」と伝えた(注4)。
(注1)預言者の病気は確かに木曜日に悪化したがその後四日間は持ちなおしてモスクに出かけるほどであった。
しかし月曜日には最後の息を引き取った
(注2)イブン・アッバースか沈黙したの意
(注3)伝承者のサイード・ブン・ジュバイルがの意
(注4)第三の遺言については色々な意見が言われている。
それは預言者の死の直前にシリアに向けて派遣したウサーマ揮下の遠征軍のことについての忠告といいまたは彼の墓を崇拝対象にしないようにとの遺言だったという。
その他にも色々と想定されている
サイード・ビン・ジュバイルは次のように伝えた
イブン・アッバースは「木曜日、何たるあの木曜日」といった。
それから彼の涙が彼の両ほほを一連の真珠のように流れ始めたがそれを私は見た。
そして彼はアッラーの使徒が次のように語ったといった。
私に肩甲骨(注1)とインクつぼ(または書板とインクつぼ)を持って来て下さい。
あなた方に以後決して迷うことのない文書を書き残しましょう。
すると彼らは「アッラーの使徒は人事不省に陥っている」(注2)といった。
(注1)ラクダなどの大型動物の肩甲骨を当時書板や紙の代りに書付用に使っていた
(注2)だから預言者に遺言を書かせることは控えるべきだという言外の意味か?
イブン・アッバースは次のように伝えている
アッラーの使徒が召されようとしていたとき、家には大勢の男達がいました。
その中にはウマル・ビン・ハッターブもいました。
そして預言者が「私はあなた方にその後迷うことのないように文書を書いて残しましょう」といった。
するとウマルはこういった。
アッラーの使徒は非常に苦しんでおいでになる。
あなた方にはクルアーンがある。
アッラーの聖典で私達には十分です。
しかしその家にいた人達(預言者の親族を含めて)の意見が割れて口論になった。
ある者は「書くものを持ってこい!
アッラーの使徒はそれ以後迷うことのない文書を書いて下さるというのだから」と言えば他の者はウマルがいったことを繰り返した。
そしてアッラーの使徒の前で喧嘩と分裂が激化したときアッラーの使徒は「立ちなさい(そして出て行きなさい)!」といった。
ところでウバイドッラーは「かつてイブン・アッバースはこういったものだった」として次のように伝えた。
実に最大の損失だったことはアッラーの使徒が彼らの分裂と口論のためにその文書を書くことができなかったことだ!